北大阪商工会議所 会員紹介
2026.07.27更新
江戸時代から続く「吉向焼」の伝統を継承し
独自の創造性で芸術的価値の高みへ

今回の主人公は、交野市私市(きさいち)にある窯元「吉向松月窯(きっこうしょうげつがま)」の九世・吉向松月氏。江戸時代から200年以上続く「吉向焼」の伝統を守り、豊かな自然に包まれた工房で、茶碗をはじめとする茶道具や花器、鑑賞用の陶器など幅広い作品を生み出している。
吉向焼には特徴がいくつかあるが、中でも目を引くのが、初代が用いた緑釉を現代に再現して生み出した鮮やかな色彩だ。独自に調合した釉薬を使い、約800度の低火度で焼くことで光沢を帯びた深みのある緑を表現している。また、千利休の精神を受け継ぐ楽焼茶碗「赤楽」「黒楽」を制作していることも大きな特徴だ。手びねりで成形し、伝統的な「桶窯」で赤楽を、「フイゴ窯」で黒楽を焼成し、昔ながらの焼き味を蘇らせている。
成形方法も一つではない。楽焼茶碗は手びねりで成形するが、その他の陶器には「ろくろ」を使うこともあれば、土型を使って同型の作品を複数作る「型もの」の技法も用いている。陶土には、4種の原料を独自に配合したものを使う。美しい色彩を生み出し形を安定させるために、九世がお父様である七世と共に開発した陶土だ。
このように吉向焼は多様な特徴を持っているが、これまでどのようにして受け継がれてきたのだろうか。
吉向松月窯の起源は1804年にまで遡る。伊予大洲藩(現・愛媛県)の武士の家に生まれた戸田治兵衛が、楽焼の窯元である京都の楽家九代・了入をはじめ数々の名工に作陶を学んだ後、妻の実家の近くである大阪の十三に窯を築いたことが始まりだ。廃寺に工房を構え、庭前の老松の間から生駒の山に出る月を愛でて自らを「松月」と名乗り、「十三軒松月」を号とした。

茶道が大名文化として広まった江戸時代、初代松月も岩国藩や須坂藩など各地の藩に招かれては作品を納めてきた。ある時、十一代将軍家に慶事が起こり、当時の大坂城代・水野忠邦の推挙を得て鶴と亀の食籠(じきろう・茶道における菓子器)を献上したところ、亀の器が気に入られ、「亀甲」にちなんで「吉向」の窯号を賜った。これが「吉向焼」の起こりである。こうして名だたる大名に献上されてきた初代の作品は、近年さまざまな場所で発見されており、日本国内のみならず、ボストン美術館や大英博物館など世界有数の美術館にも所蔵されている。
現在の私市に工房を構えたのは1980年のこと。吉向焼の伝統でもある緑釉は、奈良時代の陶器「正倉院三彩」をルーツとする。その陶土が私市で採取された可能性が高いことを知った七世が、まさにそのルーツの地に窯を移したのである。
吉向松月窯が今日まで受け継がれてこられた理由の一つには、伝統を守ることに加えて、創意工夫によって時代とともに発展を遂げてきたこともあるだろう。七世の時代には、一点ものだけでなく、同じ作品を効率的に複数制作できる「型もの」の強みも活かし、茶道具のみならず一般の方にも使いやすい器も制作するようになった。また、かつて枚方にあった三越百貨店などに納めるお祝いの引き出物の制作にも力を入れ、事業の幅を広げていった。

九世の吉向氏が家業を手伝うようになったのもこの頃だ。高校時代には、授業が終わると友達と遊ぶ間もなく帰宅し、迫る納期に間に合わせるために工房で作陶を手伝っていた。幼少期からものづくりが好きだった吉向氏が家業を手伝うことは自然な流れだったが、休日もなく、朝5時に起きて薪割りから始まる日々に、陶芸が嫌になったこともあったという。「芸術大学に進学してからは、世界の陶磁器を研究している先生に出会い、この道を進めばきっと楽しいだろうと思いました。ところが家に帰れば陶芸家というより職人ですから、芸術を謳歌している先生や友達が羨ましかったですね」と吉向氏。一般向けの器より芸術的価値の高い焼き物をもっと極めたいという想いが強くなり、お父様とぶつかることもあった。
しかし大学卒業後、日本画家の山本紅雲氏と出会ったことが一つの転機となった。山本氏が皿に美しい絵を描く様子を見て日本画家に憧れを抱き、自らも筆を取るようになった吉向氏。「絵を描く」という自身の好きな創作活動と陶芸を重ねることを思い立ち、注文品を制作する傍ら、陶器に絵を描いた独自の作品を作り始めた。
陶器に自然の風景を映し出した独創的な作品は多くの人を魅了し、現在も折に触れて作陶展が開かれている。絵と陶芸を融合させたこの試みは、色彩豊かな吉向焼の技術を高めることにも寄与した。
1991年からは、緑釉の無鉛化にも取り組んだ。初代が生み出した鮮やかな緑は、従来鉛を含む釉薬で表現されてきたが、鉛が器を使う人の健康を害する恐れがあると言われ始めたためだ。幾度となく試作を重ね、初代の色彩を再現するまでには実に15年もの歳月を要したという。
こうして吉向氏は、一般向けの陶器や無鉛化など時代の求めにも応え、独自の感性と粘り強い探究心で表現の幅を広げながら、200年以上の伝統を今に継承してきた。

「ものづくりの技術は鍛錬で引き継ぐことができますが、実はそれ以上に大切なのは、焼き物の精神を引き継ぐことなんですよ」と吉向氏は語る。
つまり茶碗を焼くということは、単なるものづくりではなく、歴史や宗教を紐解き、その器に宿る精神を追求することなのだという。「父は、そうした精神を追求して楽焼茶碗を作り続けていました。これを終わりにさせず、私も引き継いでいこう、それが大きな役目だと感じるようになったんです」
その作り手としての情熱を表している取り組みが、江戸時代、黒楽の焼成に使われていたフイゴ窯の復刻だ。初代が当時の釉薬で生み出した深みのある黒を、現代の材料でどこまで再現できるか――黒楽の精神を現代に甦らせるための、吉向氏の挑戦だった。
フイゴ窯は、下半分が地中に埋まった半地下式の構造で、地中の送風管を通してフイゴから炭に風を送り、約30分かけて温度を上げていく。焼成の温度や釉薬が溶けるタイミングを見計らって火鋏(ひばさみ)で取り出す必要があり、陶芸家の経験と勘が大いに試される。一度に焼けるのは一点のみ。それでも、吉向氏がフイゴ窯を用いて自身の納得できる「黒」を追求し続けるのはなぜか。「一口に黒と言っても、無数の黒があります。いろんな色を凝縮していくと、黒になっていくわけでしょう。歳を重ねるにつれて、それが作品に味を生み出す大きな要因になるんです。なぜ古い時代に千利休がこの黒い焼き物を作ったのか、という謎にも惹かれますしね」。
フイゴ窯や桶窯を用いた伝統的な技法の継承にとどまらず、この九世としての哲学や創意工夫が加わった吉向焼は高い芸術的価値を認められ、2025年3月に交野市の無形文化財に指定された。
陶芸の世界に入って半世紀以上。今も探究を続ける吉向氏にとって陶芸とは何か。「難しい問題にぶつかると、次にやるべきヒントが見えてきて、奥が深くて終わりがありません。意図した通りにはなりませんが、窯の中で思いがけない効果が生まれることがとても面白い。焼き物というのは、自分で作っているようで、自然に作らせてもらっているんです」。
自然の力を借りて作り上げた作品を、展示会で見た人に気に入ってもらい、喜んでもらう。そうやって人から評価を受けながら、どうすればより良い作品を生み出せるかを日々追求することが醍醐味なのだという。
この伝統を次世代へと繋いでいくためには、より多くの人に吉向焼の魅力を知ってもらうことも大切だ。吉向氏は現在、作陶だけでなく、陶芸教室や工房の隣にある茶室でのお茶会の開催、交野市の日本酒メーカーとのコラボレーションによる贈答用の酒器制作など、活動の幅を広げている。
ただ美しいだけの器ではなく、江戸時代の技法をなぞっただけの焼き物でもない。初代から脈々と息づく精神と現代らしい創造性が融合し、唯一無二の価値を築いてきた吉向焼。私市の地からその魅力が多くの人に広まり、ますます発展していくと期待したい。

| 事業所名 | 吉向松月窯 |
|---|---|
| 所在地 |
〒576-0033 |
| TEL |
072-892-0811 |
| HP |

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