2025.06.05
飲食店やゴルフ練習場など多角的に展開
枚方市東部“奥ひら”の活性化に尽力
今回の主人公は、株式会社和幸の代表取締役、大橋 綾子氏(55)。ラーメン店や居酒屋、焼肉などの飲食店のほか、枚方市尊延寺にある「和幸カントリー倶楽部」では、ゴルフ練習場とショートコースを備え、ゴルフスクールも展開するなど多角的に経営している。
2020年3月、創業者である父から会社を引き継ぎ、大橋氏が二代目代表取締役に就任。まさにコロナ禍に入ったタイミングでの厳しい船出だったが、創業30年となる2022年には和幸カントリー倶楽部のクラブハウスを大幅にリニューアル。クラブハウス内に飲食店のオーダーシステムの導入など、効率化を求めた経営改革を行ったほか、地域の人たちが集えるような空間づくりにもこだわった。
翌2023年に立ち上げたのが「奥ひらプロジェクト」。大橋氏が生まれ育った枚方市東部地域を“奥ひら”と名付け、その魅力をPRしようという試みだ。大橋氏のほか、この地域で有機農業を行う「ひらかた独歩ふぁーむ」代表の大島氏。大島氏が栽培したホップでクラフトビールを作り地域活性化を目指す「株式会社カンパイカンパニー」の光延氏とタッグを組んだ。
大橋氏は、「“奥ひら”の魅力は、都会に近いのに自然がたくさん残っていて、雑音が少ないところ。この地域で30年商売をさせてもらったので、この地域の魅力をPRし、将来世代に残していきたい」と意気込みを語る。
当商工会議所の常議員も務める大橋氏に話を伺った。
会社と地域の未来を語る大橋社長
株式会社和幸は、今から47年前、大橋綾子氏の父・一作氏が開いたラーメン店「一作」が始まりだ。濃厚な鶏パイタンスープが看板メニューで、寝屋川、茨木など4店舗展開している。新大阪の居酒屋「一作」、焼肉とラーメンを融合させたユニークな業態の「ラ・コギ」といった飲食店経営に加えて、枚方市東部の自然豊かな立地を活かした「和幸カントリー倶楽部」を経営。300ヤード、111打席の壮大なゴルフ練習打席と、12ホールの戦略的なショートコース、アプローチ・パター練習場のほか、ゴルフスクールやフィットネスも完備している。同社は、地域に根差しながら様々なシーンで人々に親しまれる存在として成長してきた。
大橋氏は、「和幸カントリー倶楽部」がある枚方市尊延寺で生まれ育ち、18歳の時にアメリカに留学。帰国後に入社し、結婚、出産を経て、30代初めに復帰したという。
父から引き継ぎ、二代目代表取締役に就任したのが2020年3月。待ち受けていたのは世界を襲ったコロナ禍という未曾有の危機だった。大橋氏は、「それまでも現場を仕切っていたので、やっている仕事は変わらなかったけど、社長業のスタートがちょうどコロナ禍が始まった時で、本当にどうなるかわからない状況だった。ゴルフは屋外で行うスポーツなので、比較的お客さんが来られたけど、飲食の方は大変でしたね」と振り返る。
全面改装した開放感のあるロビーやショップにレストラン
コロナ禍後も見据えて大橋氏は、様々な改革に乗り出す。2022年、「和幸カントリー倶楽部」の30周年を機に、クラブハウスのリニューアルを行なった。レジを一箇所に集約し、併設の焼肉とラーメン店「ラ・コギ」ではオーダーシステムを導入、4店舗あるラーメン店のスープを全て同店で作るなど、効率化を図った。「振り返ると、昨年が一番大変だった。飲食は、物価高騰で仕入れ値が上がり、人件費も上がったけど、なかなか売上が上がらない。ゴルフも『コロナバブル』と言われたのがなくなり、通常営業になって、売上がコロナ禍前には戻らない状況だった」。
ゴルフ部門を取り纏めるご主人の大橋プロ
同年には、ゴルフをもっと楽しんでもらいたい、ゴルフを通じて地域に貢献したいという思いから一般社団法人「GPR協会」を設立し、夫でプロゴルファーの大橋義幸氏が代表理事に就任した。「GPR」は、「ゴルフ プレーヤー レスキュー」の略で、「人と人をつなぎ、人と地域もつなぐ“架け橋”となるゴルフへ」を理念に掲げる。子どもから大人までを対象としたゴルフスクールのほか、知的障がいのある人たちのスペシャルオリンピックスや関西盲導犬協会の支援も行う。
ゴルフスクールは、創業以来30年で、のべ65万人以上が受講していて、小学2年生以上を対象にしたジュニアスクールも展開。「ゴルフは、唯一審判がいないスポーツ。だから自分に誠実でないとできない。それを子どもたちにも学んでもらいたいし、ゴルフを通じて地域を良くしていきたい」とゴルフの魅力を強調する。さらに、ゴルフをより気軽に楽しんでもらおうと、ゴルフクラブとゴルフボールの代わりに足とサッカーボールを使って行う「フットゴルフ」も行っていて、さらに普及を目指す。
大橋氏は、会社の経営だけにとどまらず、地域とのつながりを軸にした新しいリーダー像を模索し始める。クラブハウスのリニューアルの際、地域の人たちが集えるような場所作りにもこだわった。「30年、この場所で商売させてもらってきたので、この地域をどないかせんとあかんという思いがある。でも、東部って、枚方の人もほとんど来ない。盛り上げようと言われてきたけどなかなか進まない」と危機感を募らせる。
ある出会いをきっかけにプロジェクトが動き始める。地元の穂谷地区でホップを栽培するなど、有機農業を行う「ひらかた独歩ふぁーむ」代表の大島哲平氏。そして、デザイナーで、大島氏が栽培した穂谷産のホップでクラフトビールを作り地域活性化を目指す「株式会社カンパイカンパニー」の光延具視氏との出会いだった。この地域に思い入れがある三人がタッグを組んだ。「うちはゴルフを通じて地域を良くしたいと思っているし、他の二人も思いが真剣で、なんか波長が合ったんでしょうね」と大橋氏は語る。
2023年、この地域を「奥ひら」と名付け、「奥ひらプロジェクト」として本格的に活動が始まる。「みんなで名前を考えたんですけど、奥の枚方だから“奥ひら”。枚方の奥座敷みたいな感じで、観光地化できたらいいなと」。
コスパ最高で充実のレストランメニュー
昨年は、くずはモールや大阪中之島美術館などで開かれたマルシェに出店し、大島氏の野菜や光延氏のクラフトビール、大橋氏のラーメンなどを提供、「奥ひら産」をPRしていった。JR大阪駅直結のホテルにも野菜とクラフトビールを定期的に納品しているそうで、地域外からの評価も着実に高まっている。
奥ひらの魅力とは何か、大橋氏に尋ねると「都会に近いのに自然がたくさん残っていて、雑音が少ないところ。寒暖差があるから農作物も美味しいし、果物もある。枚方ってベッドタウンのイメージが強いけど、奥ひらは、枚方市の財産だと思っている」と胸を張る。
この地域で開いた「奥ひらフェス」では、多彩なプログラムが展開され、野菜の販売やクラフトビールの試飲、ラーメンの提供のほか、焚き火を囲んでコーヒーの焙煎体験など、地域の魅力を体感できる場となった。特に人気を集めたのが、愛犬と一緒に楽しめるエリアだ。家族連れやペット愛好家で賑わい、地域内外から多くの来場者が訪れた。
大橋氏らが三人で始めた奥ひらプロジェクトだが、徐々に広がりを見せ手応えを感じているという。「この活動を地域の人たちが見てくれて、ちょっとずつ協力してもらえるようになるといいなと。クラブハウスもあるので、ここに人を呼べるようにしていきたい」。
工房で作るWAKOオリジナル商品
奥ひらを今後どうPRしていくのか。観光資源としての可能性も模索しているそうだ。例えば、鉄道会社等と連携して、棚田や歴史的建造物をめぐるサイクルツーリズムの企画も検討しているという。「駅で自転車を借りて、穂谷地区や尊延寺の集落を回るツアーも面白い。こういう観光資源をつなげることで、地域の魅力をさらに引き出せる」。来たる大阪・関西万博での出店も計画中で、地域ブランド「奥ひら」のさらなる発信が期待される。「万博をきっかけに“奥ひら”を全国に知ってもらいたい。そして、この地域がもっと注目されて、地元の人たちが誇りを持てる場所にしたいと思っている」。
枚方市ゴルフ協会も新たに立ち上げ、ゴルフを通じて地域を良くしていく。父から受け継いだ事業を守りながら、次世代へとバトンをつなぐ挑戦。その歩みは、枚方市東部の自然豊かな奥座敷から始まり、地域全体を巻き込みながら未来を描いている。
事業所名 | 株式会社和幸 |
---|---|
所在地 | 大阪府枚方市尊延寺835 |
TEL | 072-896-1000 |
HP、SNS |
2025.02.21
軽未使用車に着目したビジネス展開
シェアハウス制度や部活動で社風を醸成
今回の主人公は、枚方市池之宮のカミタケホールディングス株式会社代表取締役の上武英輝氏(53)。創業は、1962(昭和37)年。上武氏の父が自宅で営む自動車修理工場「上武モータース」が始まりだ。1980(昭和55)年には「株式会社カミタケモータース」へ法人化。そして、二代目を引き継いだ上武氏が軽自動車の未使用車を専門に扱う新たなビジネスモデルを確立し、同社は大きく発展を遂げた。枚方本店のほか、2016年には第2号店の奈良店をオープン。地域に根差し、販売、車検、板金など車に関するトータルサポートを行っている。2017年に開設したYouTube公式チャンネルは、車に関する情報などをユーザー目線で解説するコンテンツが好評で、チャンネル登録者数は12万人(2024年12月現在)にのぼり、広報宣伝活動にも成功している。
成長の勢いが止まらない秘訣は、仕事のやりがいや楽しさを感じられるような社風の醸成に力を注いできたことにある。シェアハウスと呼ぶいわゆる社員寮や休日の部活動を会社としてサポートすることで、社内に一体感が生まれた。
「21世紀、日本が誇るべきクルマ屋である」を経営ビジョンとする上武氏に話を伺った。
カミタケ流経営理論を熱く語る上武社長
創業者である上武英輝氏の父は、交野市妙見坂の自宅で自動車修理工場を営んでいた。上武氏は、「まさに映画『ALWAYS三丁目の夕日』の世界だった」と話す。当時の思い出を尋ねると、「父は日曜日も大体仕事をしていたが、季節に一度、母がお弁当を作ってくれて、家族4人で山へピクニックに出かけた。おにぎりを手渡してくれる父の手には、黒い油汚れが染み付いていたのを覚えている。僕は言葉には出さなかったけど、『自分が父の会社を立派なものにしたい。経営者になろう』と決意した。だから、父から仕事を教わることはなかったし、僕は整備はできない。父とは違う道を歩んだ」と語る。上武氏は、友人らと中古車店を起業。その後、カミタケモータースに出資し、中古車部門を立ち上げて入社、2005(平成17)年に二代目の代表取締役に就任した。
今や、売上高106億円(2023年度)、従業員数260人(アルバイト・パート含む)の企業へと成長したカミタケモータース。上武氏が“ターニングポイント”だったと語るのが、軽自動車の未使用車、いわゆる「新古車」を専門的に扱う新たなビジネス展開に踏み切ったことだ。「中古車を求める層よりも、新車を少しでも安く買いたいと考える層の方がボリュームが大きい。奥様の日常使いの車として、軽自動車を求める人たちをターゲットにした。未使用車は、カミタケモータースの名義で登録された誰も乗っていない車なので、安心感がある。初年度車検までの期間が少し短く、色やグレードも選べないが、価格が10万円から20万円安ければ、そこは妥協してもいいという人がたくさんいるだろうと見込んだ」。
当時、未使用車というビジネスモデルは珍しかった。「父の時代は、スズキやダイハツの軽四を月に15台から20台くらい新車で販売していた普通の町工場だったが、僕は銀行からお金を借りて未使用車を大量に仕入れてチラシで集客し、大量に販売していくという全く違うやり方。在庫を持たないビジネスがもてはやされていたのに、僕がやったことは全くの逆張りだった。『売れなかったらどないするんや』。ナンバープレートをつけているから売れなければ初年度車検までの期間が短くなるいわば“生もの”を何十台も仕入れるわけだから、当時、周りの業者さんからは『クレイジー』と思われた」。
事業展開に伴い、新卒採用で9名の内定を出していた。「当時、社員が15名ぐらいの会社だったが、9名の大卒者を採用し、仕入れのためにどんどん借金もしていくから、父は『すぐに会社が潰れる』と思ったそうだ。確かに、僕の目論みが外れれば倒産だから、内定を出したものの怖くなった」と振り返る。
春に9名の採用を控えた元旦の初売り。目玉商品を作り、折り込みチラシで集客を図ったところ、大成功した。「お客さんが来てくれるのか、大晦日の夜は寝られなかった。蓋を開けたら初売りに並んでくれていて、どれだけホッとしたか。一世一代の大勝負だった」と語る。
未使用車ビジネスのヒットで、業界では出店合戦の様相を帯びた。しかし、上武氏は新規出店を踏みとどまった。「社風を大切にしよう」と考え、毎年10名程度採用していた新卒の社員教育に力を入れ始める。
まず導入したのが、「シェアハウス」制度。3LDKや4LDKのマンションを数ヶ所会社が借り上げ、先輩1人と新人2~3人で共同生活をする。自分の部屋が1つあるほかは、台所、リビング、風呂、トイレは共用。水道代や米も支給されるので、生活に必要な出費がほぼない。会社では、座学や実地の研修を行うが、シェアハウスに帰ってからも、先輩から商談の仕方、報告書の書き方、社会人として必要なスキルなどを雑談の中で教えてもらえる。「1年目の社員から戦力化できるようになる。一緒に生活することで仲が良くなり、絆が生まれる」とメリットを語る。
年に一回、社員総会を開き、「最優秀新人賞」の表彰も行う。「自分の後輩に賞を取らせたいという思いで、先輩が頑張って育てる。その思いが後輩に伝わり、賞を取れなかった後輩が悔しさでボロボロと泣いてしまうようなドラマチックな場面もある」という。
上武氏は制度の狙いについて、「ワーク・ライフ・バランスといわれるが、僕はワークとライフを切り分けるのではなく、重ねたい。福沢諭吉の言葉にもあるように『誇るべきことは一生貫く仕事を持つこと』だと思う。仕事で評価され、自分は社会の役に立っていると実感することで、誰もが仕事にやりがいを感じる。仕事や生活を通じて先輩後輩が絆を作り、この人のためなら頑張れるという関係になれることが、僕は働く価値だと思っている」。
8年ほど前からは、部活動制度も導入。野球部、ゴルフ部、釣り部、ラーメン食いだおれ部など、10ほどの部活が立ち上がり、会社から部費が支給される。「最近、カフェ巡りの部活もできた。休みの日に、同じ趣味の人と共に過ごす中で、例えば整備や事務など、普段社内で関わりのない部署の人とも交流できる。絆が生まれ、いわゆるセクショナリズムも緩和される」。
上武氏に社員教育にかける思いを尋ねると、「社員は共に生きていく仲間なので、それぞれの人生が豊かになるように責任を持つつもりで一人ひとり採用している。不正やごまかし、仲間を傷つけることは許さない。同じ釜の飯を食う仲間を大切にし、その人間関係がその人の財産になることを願っている」と熱く語った。
2017年に開設したYouTube公式チャンネルは、車の紹介などをユーザー目線で解説するコンテンツが好評で、チャンネル登録者数は12万人(2024年12月現在)にのぼる。パソコンやカメラなど必要な初期投資は行ったが、コンテンツ作りは、社員らに任せているという。「大阪の企業同士楽しいことをやろう」といったコンセプトで他の企業などとも連携し、マイカーを所持することの楽しさや魅力を動画で発信している。
YouTubeを見て訪れるお客様が毎月20組くらいいるほか、車のメーカーから紹介動画を撮って欲しいといった声がかかるようになった。「利益に直結するということよりも、広報の意味合いのステージが一つ上がった」と効果を実感している。
YouTube番組の効果について振り返る永冨ゼネラルマネージャー
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「21世紀、日本が誇るべきクルマ屋である」を経営ビジョンとする上武氏。「誇るべき」とは、そこで働く人たちがいかに輝いているか、その人生を自分たちの力で幸せにしていくことができるかどうか、という状態を示しているという。シェアハウスや部活動といった取り組みで、風通しが良く活気のある社風の醸成に力を入れてきたことが土台となり、今の成長があると感じている。「あの時、多店舗展開をしなくて良かったと、やっと言えるようになった。今、メーカーは余剰に物を作らないので供給が少なく、在庫集めが難しくなってきている。地域に根差してやってきたことで、信頼関係が構築され、カミタケだから在庫を回してくれるということもあるので、やはり正攻法でやってきて良かったと実感している」。実は同社は様々な点で当所とも長くお付き合いいただいている。まさに地域に根差し、貢献したいという社長の強い思いの表れではないだろうか。
今後の展開について尋ねると、「車はメンテナンスが必要なので、車に関するトータルサポートを一貫して行える店舗作りには今後もこだわっていく。だから、整備工場ができるような3000坪の立地が幹線道路沿いに出てこない限りは、僕は新たには出店しない。地域に根差した店舗作りという姿勢を守っていきたい」と力強く語った。